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応仁の乱(1467-1477)で焼失した本堂を再建したのは御本尊の元三大師を崇敬していた豊臣秀吉公です。朝鮮出陣と伏見城の安寧を願って文祿年間(1592-1595)に再建され、「南面大師堂」とよばれていました。
三条白川の境内には本堂のほか、地蔵堂や庚申堂、弁天堂、多賀社や梅宮社などがありましたが、明治維新後に改廃合併され、米地蔵尊や庚申尊は本堂に安置されることになりました。大正4年(1915)に現在地に移転した際には、本堂のみが移築され、庫裏や事務所が新設されました。
桁行3間・梁行4間の本堂は常行三昧堂の様式で、一説には室町時代の建造ではないかともいわれています。彫刻と極彩色に彩られた堂内は桃山時代の趣がよく残されています。とくに「蟇股(かえるまた)」の巧みな装飾は古建築史上からも重要視されています。
〈京都市指定文化財〉
△本堂
△元三大師
△庚申さま
△米地蔵尊
△その他
HP制作:
京都通信社